シアトルで出会ったクラフトビール文化が育んだ夢
電力会社の休職制度を利用し、2008年から2年間アメリカのシアトルに滞在した本間誠。そこで出会ったのは、これまで知らなかった個性豊かなクラフトビールの世界でした。
「もともとは日本酒が好きで、ビールは喉が渇いたら飲む程度でした。でも、アメリカで飲んだビールがそれまで飲んでいたものと全然違って。こんなに香りがあって美味しいものなんだ。ビールにも色んなスタイルがあるんだと感じました。」
スーパーのビール売場の半分がクラフトビール、至る所にあるブルワリーパブ。地域コミュニティに根ざしたクラフトビール文化に魅了されました。 そして何より、平日でも山や海や様々なイベントへ気軽に行ける社会環境、その後はブルワリーパブでビールを片手に人生を大いに楽しもうという広い意味でのビール文化が最高に素敵でした。
2010年にシアトルから仙台へ戻り復職した翌年、東日本大震災が発生しました。以前広報部門が長かったため、原子力発電所見学の案内も携わった経験もあり、原発事故が人生観を大きく変えることになります。
「原子力発電所は安全ですよって案内する仕事だったのが、あの震災と原発事故で一気に逆転してしまう。自分の中で本当にやりたいことは何なのかと見直すいいきっかけになりました。」
石油コンビナートが燃える海、電気が消えた街、そしてこんなにも悲惨なことが起きたにもかかわらず、かつて見たこともないほどの美しすぎる星空。震災の記憶は、持続可能な社会への想いをより強くしました。
震災後4年間の自問自答の末、「人に楽しみを与えること、ちょっとした幸せを与えること」が自分のやりたいことだと気づきました。シアトル時代の仲間から「ビールビジネスやりたいよね」と誘われたのがきっかけです。
「日本ではまだまだ原料のところが整っていない。だったらホップを作るところから始めてみよう。クラフトビール業界では後発だから、違う切り口で攻めていかないといけない。」
自社でホップを栽培しているこだわりのあるブルワリーを回ると「美味しいビールを追求するためにホップを栽培しているが、他で作ってくれるなら買いたい」という声が多数。国産の採れたてホップへの潜在需要を確認しました。
大手ビール会社の組合に入っているホップ農家への交渉は最初は難航しました。しかし、高齢化・後継者不足の問題改善に一緒に取り組むことを粘り強く訴え、山形と宮城の2か所で協力を得ることに成功しました。
需要確認とホップ栽培の目処が立ったことで、ついに起業を決意。2015年6月12日、株式会社ホップジャパンを設立しました。最初の1年間は仙台市のコワーキングスペースで事業を開始しました。
福島銀行の復興ファンド(福活ファンド)の支援先企業に認定され、投資を受けることが決定。福島県内に本社を置くことが条件だったため、福島市に本社を移転しました。
本社移転:福島市のコラッセふくしまインキュベートルームで新たにホップ栽培の場所を探す
復興庁の紹介で田村市と出会い、主力の葉タバコ産業が矮小化している中で、ホップ農業とブルワリーという新たの産業で雇用創出と地域活性化につながるのではと興味を示してくれました。「循環する町 田村市」というテーマで、ビールを中心とした地域経済循環の構想を描きました。
「グリーンパーク」ホップ・ブルワリー構想:ホップ栽培→醸造→サービス→再利用の循環型システム
田村市都路町の「グリーンパーク都路」を拠点としてブルワリーを開業することが決定。本社を同地に移転し、ブルワリー設置工事計画を進めました。
ホップ収穫:地元企業の協力でウインチ式栽培設備を開発、栽培を始めてから3年目となり、高品質なホップが収穫できるようになりました。
ファンド縮小により追加資金が途絶え、工事計画がとん挫してしまい、人生のどん底を経験。しかし、偶然の出会いから始まった奇跡が金融機関の融資につながり、再び計画の遂行に漕ぎつける。詳細は動画で